大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)6768号 判決 1990年4月24日
主文
一 原告ら所有の大阪市東住吉区田辺三丁目八二番(四一九・八三平方メートル)の土地と被告所有の大阪市東住吉区田辺三丁目八一番の四(六二・九〇平方メートル)の土地との境界は、別紙図面表示のADNIMLの各点を直線で結ぶ線であることを確定する。
二 別紙図表示のADNHGAの各点を直線で結ぶ線で囲んだ範囲内の土地及びIJKLMIの各点を直線で結ぶ線で囲んだ範囲内の土地が、原告らの所有であることを確認する。
三 被告は、原告らに対し、別紙図面表示のIJKLMIの各線を直線で結ぶ線で囲んだ範囲内の土地上にある木造トタン葺平家建物置を収去して、右土地を明渡せ。
四 原告らのその余の請求を棄却する。
五 訴訟費用は、これを五分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 原告ら所有の大阪市東住吉区田辺三丁目八二番(四一九・八三平方メートル)の宅地(以下「甲土地」という。)と被告所有の大阪市東住吉区田辺三丁目八一番の四(六二・九〇平方メートル)の宅地(以下「乙土地」という。)との境界は、別紙図面表示のADEFの各点を直線で結ぶ線(以下「ADEF線」のようにいう。)であることを確認する。
二 別紙図表示のADEFKJIHGA線で囲んだ部分の土地(赤線で囲んだ部分、以下「本件係争部分」という。)が、原告らの所有であることを確認する。
三 被告は、原告らに対し、別紙図面表示の赤斜線部分の木造トタン葺平家建物置(約二・五六三平方メートル。以下「本件物置」という。)の内、約〇・四二九平方メートルを収去して、前項の土地を明渡せ。
第二 事案の概要
一 (争いのない事実)
1 原告らは、甲土地を所有し(その持分は、原告松本進三二五分の八〇、原告松本イサヲ三二五分の一四九、原告松本進一、原告松本和子、原告松本貴世、原告松本雅世各三二五分二四)、被告はこれに隣接する乙土地を所有し、両土地の境界につき争いがある。
2 被告は別紙図面表示の赤斜線部分に本件物置を所有している。
二 (争点)
1 甲土地と乙土地との境界はどこか。なお、原告らは、別紙図表示のADEF線であると主張するのに対し、被告は、GHIJK線であると主張する。
2 本件係争部分を原告らが所有するか否か。なお、被告は、昭和四四年以降、平穏公然善意無過失にて右土地を占有しており、取得時効が完成しているとして右時効を援用する。
3 本件物置が原告ら所有土地上に存するか否か。
第三 争点に対する判断
一 甲土地、乙土地間の境界について
証拠(各認定事実の末尾に掲記)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおり認められる。
1 甲土地は、原告松本進(明治四四年一月一一日生)の父善蔵が所有していたが、昭和二三年、善蔵死亡により、原告松本進が相続した。原告松本進は、甲土地の自宅で生れ育ち、現在に至っている。甲土地上には、明治時代に建てられた母屋の他、納屋があった(納屋は、その後、昭和九年ころ、別紙図面表示のA建物として「離れ」建物に建替えられた。)が、甲土地の周囲は、A点から南方向に約二メートルのしっくい様の塀(被告はコンクリート塀という。)、それに続いて板塀があり、次いで屋根瓦を葺いた土地がCから東方向にI点まで続き、さらにここから南方向にK点の先まで、いずれと原告方によって設置されていた。
(甲一、甲六、検甲一~三、六~一一、一四、二二、二六、証人亀田久次郎、原告松本進本人)
なお、被告本人は、上記しっくい様塀の材質は、後記の三戸一の建物の別の場所にある塀(検乙八の2)と同じであるから、被告の所有である旨供述するが、原告松本進本人尋問の結果によれば、原告松本進の幼少期からしっくい様塀が存在していたことからすれば、右塀は乙土地の建物建築以前からその存在が認められるものであり、右に照らすと、前記被告の供述はたやすく信用できない。また、被告本人は、乙三の図面によれば、被告の建物(後記の保田建物)の西側柱の中心と、甲土地・乙土地間の境界線とは一尺七寸であり、この点からみると右しっくい様塀はこの距離内にあるとして被告の所有である旨供述するが、右乙三が、隣地所有者の合意を得て作成されたものと認めるに足りる証拠はない。結局、右しっくい様塀は原告らの所有であったとの認定をなすのが相当である。さらに屋根瓦を葺いた土塀につき、被告本人は乙六のような片屋根の形であり乙土地側には屋根がなかった旨供述するが、検甲一一によれば両屋根であることが窺えるほか、検証結果(写真三〇、三一参照)によればK点から南に延長した部分に現存する土塀が両屋根であることが認められることからすれば、甲土地・乙土地間の土塀についても両屋根であったと推認すべきである。
2 被告の先代保田弥寿吉は、橘某から乙土地及びこれと東側に隣接する土地を賃借し、昭和一二年ころ、右土地上に木造瓦葺五階建建物(三戸一)を建築所有し(東から順に東戸、中央戸、保田建物という。)、被告を含む保田家族は、東戸に居住し、中央戸及び保田建物は他に賃貸した、その後被告は右三戸の所有権と借地権を相続したが、昭和二三年に東戸を売却して、被告は保田建物に移転した。なお、昭和二三年四月二二日受付により保田建物について被告の所有権保存登記がなされている。右三戸一の敷地は、昭和二三年ころ、橘某から国に物納され、ついで昭和二八年八月一九日受付で吉川浅吉に所有権移転登記され、さらに乙土地につき、昭和四四年四月二二日売買(登記は同月二三日)により、被告が所有権を取得した。なお、被告は、乙土地の売買に際し、その範囲について、西側は前記しっくい様の塀のところまである旨の指示を受けた。被告は、昭和三一年ころ、AD線の東側の保田建物の出窓を設置したり、道具置場(被告は左官業)を設置する等していた。また、被告は、北西角の風呂場を台所に改造したほか、昭和三七年ころ、本件物置を原告らの離れの東壁に接するような形で設置した。
(乙一の1、2、被告本人(一、二回))
3 昭和四四年、原告松本進は、前記1の板塀及び土塀をその基礎とともに撤去し、その撤去跡にブロック塀を建築することとし、職人の戸田(被告の親戚筋であった)に依頼した。ところが、右ブロック塀建築に関し、被告との協議なく行ったことや戸田が被告の敷地内で作業をし、作業の必要上、被告の道具置場のトタンを外したことから、被告の抗議を受け、戸田は完成間際で作業を中止せざるを得なかった。
(甲六、検甲一二~一六、一八、二〇、原告松本進本人、被告本人(一、二回))
4 その後、被告において右ブロック塀(以下「四四年ブロック」という。)の位置を確認したところ、しっくい様塀から続くブロック塀が、南方向にいくにしたがって保田建物に接近するような形に斜めに設置されていたことから、昭和四五年秋ころ、被告は、実弟保田企一を通じて、原告松本進に対し、保田建物の西側を通行できるように四四年ブロック塀を取り壊し、そのかわりしっくい様塀の南端から南方向に、保田建物と平行にブロック塀を建築したい旨申し入れた。原告松本進は、当初、難色を示したが、結局この申入れを承諾し、材料費は原告らの被告とで折半とし、作業賃は被告が負担するということとなり、被告は、親類の種村斎に依頼してブロック塀を建築させたが、その際、しっくい様塀を取り壊したうえ、右しっくい様塀よりも西寄りに、別紙図面表示のG点をブロック塀の東端としてB点まで延長し、さらに既存のブロック塀のC点に接続する工事を完成した(別紙図表示のGB表示の赤色部分)。原告松本進は、右材料費(金一万四五四六円)を昭和四五年一一月七日、保田企一に支払ったが、被告の行なわせた右ブロック(以下「四五年ブロック」という。)の位置については、格別、抗議することはなかった。なお、そのころ、しっくい様塀の西側に設置してある原告らの門の屋根が一部切断されていた。
(甲二、甲六、甲一〇、検甲三~五、一六~二一、検乙一の1~4、7~15、証人保田企一、証人種村斎、原告松本進本人、原告松本進一本人、被告本人(一、二回)、検証結果)
なお、被告本人(一、二回)及び証人保田企一は、四五年ブロックを建築するに先立って、乙三の図面を原告側に示し、同書面記載の境界線を甲土地・乙土地の境界線とすることに原告側が了解したこと、四五年ブロック建築に際し北側に境界杭を入れたこと、しっくい様塀の取り壊しは原告側が依頼したものであり、昭和四六年ころ原告松本側が門の屋根を一部切除した旨供述するが、検証結果によれば境界杭は現存していないこと、原告松本進及び原告松本進一各本人の尋問結果に照らし、原告側が当時乙三の提示を受けたことや境界杭を入れたことは認めるに足りず、さらに、永年、甲土地・乙土地を隔てていたしっくい様塀の取り壊しを原告側が依頼するとはにわかに信じ難いものであり、建築に素人の原告側において自ら門の屋根を切除するとは考えられず、原告側がこれを業者に依頼したことを認める的確な証拠はないことに照らすと、上記被告本人及び証人保田企一の供述は、たやすく信用することはできない。
5 昭和五七年一〇月ころ、乙土地との境界に不審を抱いた原告松本進一が、ブロック塀を測っていたところ、被告から「塀いっぱいまでがうちの土地や」といわれたことがきっかけとなり、内容証明郵便を応酬する事態に発展し、本訴に至った。
(甲三~六、原告松本進本人、原告松本進一本人)
6 本件係争部分は、現在、G点から南方向にブロック塀が存し(四五年ブロック)、B点を南西角として東方向にブロック塀がI点まで延び、さらにI点から南方向にJ点まで続き、ここで原告ら離れの北東角に接している(CIJは四四年ブロック)。そして、原告らの離れの東側の屋根はJK線から東方向に約〇・二九メートルの位置に達している。また、原告らの土塀の屋根は、幅約〇・六五メートルである。なお、CIのブロック塀は、保田建物との接近が著しく、DE線は保田建物にかかっていることが窺える。
(甲一〇、検乙二の3~5、検証結果、被告本人(二回))
7 なお、公簿面積と実測面積との比較に関しては、乙土地につき、乙一の1(登記簿謄本)によれば公簿面積一九・〇三坪に対し、被告の建築届書(乙七)では二一・五九坪の記載があるが、甲土地・乙土地の北側道路は私道であり(原告松本進本人)、甲土地・乙土地の公簿面積、実測面積を比較する的確な証拠はなく、また、公図についても、なんらの証拠もない。
以上、認定事実をもとに、甲土地と乙土地の境界について考察するに、結局、従前の占有使用関係を重視して決するほかない。そうすると、北側道路側は、従前のしっくい様塀の東北角を起点として、右しっくい様塀の東側に沿って南方向に至るのが相当である。他方、原告らの離れ側については、東側屋根の雨落線を境界線とし、その距離については6認定の〇・二九メートルにより、K点からF点に〇・二九メートルの地点(L点とする)からJI線に平行に北上させた線とするのが相当である。そして、東西については、右Lから北上した線とHI線を東方向に延長した線との交点(M点とする)とDC線・HI線の交点(N点とする)とを結ぶ線(MN線)とするのが相当である。結局、ADNIML線をもって甲土地と乙土地の境界とするのが相当である。
二 次に、所有権確認について判断する。本件係争部分の内、右一認定部分が甲土地に含まれるものであるから、特段の事情のないかぎり右部分の土地は原告らが所有するものである。そして、被告においてその所有権の帰属を争っている以上、確認の利益を肯定することができる。なお、被告は、取得時効を主張するが、前記認定事実に徴すると、四四年ブロック建築以降IJKLMIで囲んだ土地を、四五年ブロック建築以降は、右に加えてADNHGAで囲んだ部分を占有していたことは認めることができるが、従前の塀の状況、四五年ブロック建築の経緯等に照らすと、被告が右土地部分を自主占有するについては、少なくとも過失の存在を認めるのが相当であるから、未だ取得時効は完成していないといわざるをえず、被告の主張は失当というべきである。
三 被告所有の物置の収去について判断する。本件物置が、原告ら所有のIJKLMIで囲んだ土地上に存することは前記二認定により明らかであるから、被告は、右土地部分の範囲内の本件物置部分を収去する義務がある。
第三 結論
以上の次第であるから、主文のとおり判決する。
(裁判官 吉田健司)